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念仏札

一遍上人語録

門人伝説

 門人伝説86

また云(いわく)、一代聖教の所詮はただ名号なり。その故は、天台には、「諸教所讃、多在弥陀」と云、善導は、「是故、諸経中広讃念仏功能」と釈し、観経には、「持是諸者、即是持無量寿仏名」と阿難に付属し、阿弥陀峡には、「難信之法」と舎利弗に付属し、大経には、「一念無上功徳」と弥勒に付属せり。三経ならびに一代の所詮、ただ念仏にあり。聖教といふは、この念仏を教えたるなり。

かくのごとくしりなば、万事をすてて念仏申すべき所に、或は学問にいとまをいれて念仏せず、或は聖教をば執して称名せざるは、いたづらに他の財をかぞふるがごとし。金千両まゐらするといふ券契をば持ちながら、金をば取らざるがごとしと。常の仰せなりき。

我法門は◀ ▶伊予国に

 

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